lesson6:恋慕の代償(4)

「えっ……」
「その、だから……いずみに言わないでいた俺の責任。俺さ……」
 お願い。言わないで欲しい。お願いだから。
「俺と結婚して欲しい」
「……」
 突然のプロポーズに、私の身体は固まった。
「いずみに断られるのが怖くて……言えなかった。両親と打ち解ければさ、いずみも考えてくれるかなって思ってたんだよ」
「でも、私、私ね」
 私はふさわしくない。あなたには、もっといい人が絶対にいる。私のような浮気者で、今となっては好色な女を伴侶にすることなんて無い。他にいい子がいると思う、それなのに……
「考えておいて。別に親と結婚する訳じゃないし、俺と生活する、って思って欲しい。子供も欲しいしさ。三十代に入って早々に結婚すれば、晩婚より楽だと思って」
「……」
 何も言う言葉が無くて絶句する。
 晩婚よりは楽?私と結婚すると楽?
 そう思っている、ということ?
 私は……
「いずみとだったら、俺助け合える気がするんだよ。いずみと、結婚したい。家庭を持ちたい」
「少し、時間をちょうだい」
 分かった、と言って拓也はその場を去る。玄関に行く彼を、私はゆっくりと追いかけた。
「いずみ。愛してるんだ」
 ちゅ、と唇にキス。
 こんなフレンチキスが、当たり前だった。拓也とは、セックスの時でも、あんなに狂おしいキスはしたことがない。全て、吸い取られるような、激しいキス。粘膜と粘膜が、合わさってとろけてしまいそうな、あんなキスは。
 バタン、と扉が閉まる。拓也と会っていても、常に過るのは成宮とのセックス。彼の声、彼の指、唇、舌の感触……全てが私を悩ませる。私は拓也と結婚できるのだろうか。そうしたら、成宮との、闇に堕ちていくようなセックスは、忘れられるのだろうか。
 涙が溢れる。どうしてだろう。拓也と別れればいいのに。それもできない。成宮にすがりたい。惨めでずるくて、どうしようも無い私。二人ともと、別れてしまったらどうだろう。知らない土地で、仕事を探す……そんなのも私には合っている気がする。
 でも。
 脳裏にあるのは、あの人だけ。成宮だけ、だった。
 会いたい。
 こんなに人に会いたいと、思ったことがあるだろうか。
 この気持ちはなんだろう。今の今まで、この気持ちを知らなかった。拓也にも、家族にも、感じたことのない、この感情……会いたくて、狂おしくて、憎くて、愛おしくて……複雑な感情をひっくるめて、今、成宮に会いたい。助けて欲しくて、助けてあげたくて。訳の分からないこの気持ち。
 私は、シャワーを浴びると、夜の町を飛び出した。


「どうしたんです、今日は」
 成宮の家のソファーに、私はいた。
 急いで来てしまって、ほとんどお洒落もしていない、化粧もしていない格好だった。
「……辛くて、どうしようもないんです。どうしたら……」
 成宮は不思議そうに私を見る。この前の私のように、何が起きたか分からないまま、見つめている。
「僕に出来ることは、なにかありますか」
「……私を」
 成宮の、目。冷たくて、鋭くて、でもやさしいその瞳。それを見つめて、私は、自分の感情に向き合う――
「成宮さんの、サブミッシブにしてください。お遊びじゃ無い、本当の……」
「それは、契約ですか。それとも」
「なんでもいいです、だから、私をあなたのものに、して」
 涙が落ちていく。その涙を指で掬って、成宮は言う。
「あなたが言っているのは、今までの僕たちのプレイとかけ離れたものを差しているのですか」
「完全に、身も心も、あなたのものに、なりたいっ、今、すぐ……」
「そんなに僕を喜ばせて。何があったんです」
「……」
「……言えない、のですね。いいでしょう。僕も貴女に言えないことがありますし……」
 温かい紅茶を一口飲んで、成宮は続ける。自分が座っているソファーの隣に、彼が身体を沈める。
「後悔しませんか。もう、戻れないかもしれませんよ。彼氏さんのところにも」
 ずきん、と心が痛む。それでも、成宮に溺れたい。全てを、忘れさせて欲しかった。
「いいです、もう……成宮さんのものに、なりたいです」
「可愛い人……僕のものですよ、今日から、貴女は」
「……はい……」
 返事をすると、何故か心が落ち着いた。恋、ではないのかもしれない。もっとずっと、心の奥の方にある何か、がこの人を求めている。人間としての体裁を無視して、私はこの人が必要なのかもしれない。結婚だとか、楽だとか。そんなのは、どうでもいい。
 この人が欲しい。
 単純な感情しか、なかった。