lesson5:背徳の味(1)

 閑静な住宅街の狭間を、拓也の車の助手席から眺める。まるで処刑場に行くかのような気持ちで、私は拓也のハンドルさばきを見ていた。
「大丈夫?結構酔ってる?」
 そう拓也に聞かれても、余り返事も出来ないくらい、酔っていた。車酔いというのは、中々辛い。酒で酔うのとはまた違った辛さに、私は悶えた。どうしてこんなことになってしまったのか。自分でも、その理由はあんまり思い出せない。
「あと少し、だからね」
 気を遣いながら、余り振動がないように運転しているのが分かる。うん、と小さく返事をして、窓から外の空気を吸う。ああ、気分は最悪。やはり、断れば良かったのだ。
「着いたよ」
 そう拓也が言うと、分譲住宅だろうか、たくさんの家が並んでいる一軒家に着いていた。門から初老の女性が顔を出している。私はぼんやりそれを眺めると、女性は軽く会釈した。ショートカットで、綺麗な印象がある。化粧は薄く、笑顔が自然な人だ。
「彼女酔っちゃってさ……あ、花巻いずみさんだよ」
 拓也がその女性に言うと、女性はこう言って私に話しかけてきた。
「こんにちは。沢城拓也の母です。いつも息子がお世話になっています」
「……酔ってしまってすみません。花巻と言います、今日はお世話になります」 
 吐き気を堪えて私は言う。
 そう、私は拓也の実家にきてしまっていた。
「いずみ、こっちに来て……母さん、何か冷たいものをくれる?ああ、いずみはコート脱いで……うん」
 ありがとう、と言いながら、家の中に案内される。玄関にはペパーミントグリーンのスリッパが二つ、並んでいた。綺麗なドライフラワーが飾ってある。いかにも、拓也が恵まれた家庭で育ったというのが分かって何だかチクリと胸が痛んだ。
 こっちへどうぞ、と優しく拓也の母親が案内してくれるので、私は案内されるがまま、ソファーへと座る。広いリビング。大きなテレビモニター……まるで、絵に描く理想の家庭、そのものだった。
「いずみさん、お水ですけど、どうぞ」
 そう言ってお水を受け取る私。一体、この女(ひと)には、私はどんな風に映っているのだろう。
 車を停めてきた拓也が、部屋に入ってくる。
「大丈夫」
「うん、ごめん」
「少し休んでさ。どうやら母さん、ご馳走作ってくれたみたいだから」
「あらあら、奥地に合うか分からないわよ」
 ふふふ、と優しく笑う拓也の母親は、私の母とは違う。なんというか、母性の塊のような、そんな風に見える。
「拓也」
 すると、部屋に入ってきた男性がいる。白髪の厳格そうな男性……
「車できたら酔っちゃって。彼女の花巻いずみさん」
「初めまして。拓也の父です。少し、休んで下さい」
「花巻です、醜態をお見せして、すみません……」
 気分が悪いのに挨拶を交わさなければいけないこの状況に、私は我慢しながら答えていく。
 そもそもこれは、私の態度が招いたことなんだから、これは仕方のないことなんだ……そう、何度も自分に言い聞かせた。


 成宮と激しい「縛り」のプレイをした日から一週間経った日。拓也から、電話が来た。LINEではやりとりしていたものの、やはり拓也のアパレル関係は年末年始は勝負の時のようで、全く連絡が途絶えていたのだ。
「あけましておめでとう。どう、そっちは。忙しい?」
 久しぶりの拓也の声に多少、ほっとする。安堵している自分が、いた。
「あけましておめでとう。そっちこそ、忙しいんじゃ無いの」
 拓也のいない日々を他の男で埋めている私なのに、いざ彼の声を聞くと安心する。これは、いったいどんな気持ちなのか。自分でも、最早分かりかねる……
「いや、まだまだ落ち着かないけど、取りあえずはなんとか、ね」
 ふーん、と相づちを取ると、彼は続けた。
「年末年始、実家に帰ってさ。いずみのこと、話したんだよ。あ、今までも何度か話には出てたんだよ。でさ、両親が、いずみに会いたいって言ってて」
「え」
「今度、家に来ない?その……俺も、日曜日休みの日、あるからさ」
 これは、一体どういうことなんだろう。両親に紹介する、というのは……
「でもそんな、私、拓也のご両親に会うような……そんな理由もないし」
「いや、一応付き合っているなら連れて来いっていう……父親の希望でもあるんだよね。そんな深い意味は無いって」
「……」
「ちょうど、俺があげたワンピース、あれいいんじゃない。うちのブランドだし」
 そうだった。拓也からもらったワンピースは、拓也の店のブランドで、清楚、を基調とする純白のワンピースだった。
「……どうかな、ちょっと予定見てみるけど」
 答えをぼやかして返事をする。それに、拓也はうん、と強く言う。予定。日曜日はそんなものは入っていないのは自分でも分かっていた。でも、なんとなく、嫌な予感がする。拓也の家に行くことが、私にとっていいものであるとは思えない。だって、私はこの人と、結婚するとは思っていないのだから……
「次の日曜日はどう、急なんだけど」
「えーと、うん……その」
 言葉を濁すと、拓也が笑った。
「取って食いやしないよ。別に軽く挨拶だから。ほら、付き合っている女性も連れて来ないのかって、オヤジがうるさくてさ。ごめんよ、俺もそんなに長居するつもりはないから」
「あ……」
 断ろうと思っていたのに、断れないまま、拓也は迎えにいくよ、と言った。
「十時頃でいい?俺車で行くよ。たまにはほら、ドライブデートってのもいいじゃん。最近、あまりデートらしいデートしてないから」
 そういう拓也に、私は嫌だと言えないまま分かった、と言ってしまっていた。
「ちょっと、ケーキ屋でも寄ってさ。ね」
 優しい拓也の声。私はこの人が好きだ。好きだった……はず、なのに。その気持ちは変わってしまったんだろうか。セックス一つで?自分でも信じられなかった。でも、拓也との気持ちが元に戻るなら、それが一番いいとは思う。結婚は、考えられないけれど。
 拓也の声はほっとした様子で、そのままじゃあね、と電話を切られる。私ははあ、とため息をつきながら、自分の優柔不断さを呪っていた。