lesson8:贖罪と背徳(5)

 運転する横顔を見ながら、私は彼の言葉を待つ。成宮はまるで懺悔するかのように私に話していく。
「最低な男ですよ。性の不一致は夫婦仲の不一致。別れればよかったんです。彼女もそれを、分かっていると……思っていました。別れようと何度言っても彼女は別れないの一点張り。徐々に精神を病んでいき、ある時彼女に、浮気相手と撮った写真を見られてしまいます。もちろん、緊縛の写真を」
 ごくり、と唾を飲み込む。もしかしたら、その写真が私だったかもしれない。写真自体はせがまれたことはないが、もし成宮に求められたら私は応じてしまっていただろう。
「悲惨でした、怒鳴りあい、罵りあい、僕も彼女に対する不満をぶちまけて  憎しみの爆発のような言い合いをしました。これで、やっと別れられる、そう思っていたんです」
 修羅場の夫婦喧嘩なんて、聞いただけでも不快だった。今の私には、どうすることもできない……
「マンションの、自分の部屋で彼女が首を吊っているのを発見したのは僕です。救急車を呼んで、心肺蘇生しながら、僕は救急隊を待ちました。とっさの判断でした」
「……」
「僕が医療従事者だったのが良かったのか悪かったのか。分かりませんが、妻は一命をとりとめました。助かったのです、でも……人工呼吸器は外せなかった。生き返ったけど、脳幹という部分はダメージを受けていた。自分で呼吸ができなくなっていた」
 信号で停車する車の中で、私はふと、彼のギアを握る拳を見る。震えていた。私にどれだけ酷いことをしても、首を絞めながらアナルセックスをしても、まるで動じなかった彼が、今……震えていた。
「……僕は彼女に何もできなかった、それどころか中途半端に蘇生して、彼女の死にたい意思までを摘んでしまった……償っても償いきれない。僕には、蘇生をずっと続けることしか道はないんです。命を無下に扱った僕の罪です。妻の記憶はどんどん薄れて、今、僕の中で奇麗だった、美しかった妻の姿は微塵もない。でも僕は、妻を見殺しにできない。僕のせいで命を絶とうとして、それを阻止された妻の気持ちを考えると」
「成宮さん……なんと、なんと言っていいのか」
「いいんです。聞いていてください。全部あなたの知りたかったことを話します。僕の気持ちを。貴女の気持ちと、僕の気持ちが釣り合うかは分からない。でも、これを知って欲しかった。僕の罪を」
「私……」
「そんな荒んでいた僕に、貴女は光をくれたんです。僕の大好きな縄の世界に、貴女は飛び込んできてくれた。時に従順に、時に激しく、僕の言いなりに、僕に反抗して。僕の心に刺激をくれた。僕の単純な、妻の看病の繰り返しの人生に、貴女は変化をくれた」
 信号の青に、反応して、彼はギアをドライブに合わせる。
「身も心も、すべて僕のものにしたいんです……貴女を手に入れるためなら、本当の意味で手に入れるなら、僕は何でもしますよ。僕のものにしたいんです。完全に。感情さえも、すべて」
 成宮の告白に、子宮が反応するのが分かる。今までもたくさん、彼に感じてしまうことはあった。でも、それでもやはり反応するのは縄があるときがほとんどだった。縄で縛られる、その快感には、自分が今まで経験してきた快感などは足元にも及ばない。私は、彼の緊縛技術にほだされていたのかもしれない。
「私……成宮さんのことが好きなのだと思っていました。これは恋愛感情なのだと。つまらないセックスをする拓也の代わりの男性に、恋をしていたのだと。でも、違うんです、この感情は……成宮さんに対するこの感情は、今まで経験したことがないくらい、めちゃくちゃで、なんだか分からないんです。結婚したいと思っていたかもしれないけど、私は別にあなたと結婚したいわけではない。ただ、ただ……拓也と結婚するのは嫌なんです」
「そうでしょうね、そうだと思いますよ。僕が今、妻の容態が良くなってしまったら、いずみさんとはもう」
 それは罪の償い方なのだろうか。妻がもし、元気な形でここに存在したら、一生を償いに捧げるつもりなのだろうか。そこには、私は入れないと、そういうことなのか。
「でも、彼女はもう一生元には戻れない。だからこそ、僕は」
 彼がそう言ったところで、私たちはマンションの駐車場に着いた。
「いずみさんを生涯の奴隷にしたいのです、僕の」
 心臓が止まるかと思うほどの、熱量がそこにはあった。
「貴女以外に僕は見えません。妻の償いの中で、僕は気づきました。僕のすべてを捧げるのに、僕にすべてを捧げてくれる人が欲しい、と。貴女がその人です。僕のことを一番に考え、僕にすべてを捧げる。そのためなら、僕は自分をすべて捧げます、だから……僕の言うとおりに、人生を台無しにするいずみさんという存在が欲しい」
 成宮の言葉を、何度も何度も脳内にインプットする。これは、すでに結婚し、それを覆せない彼の精一杯のプロポーズなのかもしれなかった。罪の塊のようなその言葉を、私は全身に浴びていく。喜びという名の感情が、私の髪の毛一本一本にまで、満たされていくようだった。
 これが欲しかったのだ。
 拓也ではだめだった。この人でなくては、私は……
 自分から、運転席の成宮にキスをする。冷たく冷え切った唇を、自分の唇で覆いつくす。私の口の中、舌、指先からすべて、この人に捧げたい。舌が絡まってくる。私は、この感覚が欲しかったのだ。絶対的な、覆せないほどのこの感情。名前もない、私が成宮だけに感じるこの感情……
「んっ、ああ」
 夢中でキスをして、彼の舌の熱さを感じる。この人はおそらく、一番私たちの真実の近くにいる。それは間違いない。私が見えていなかった、私と彼の本質。そこに、私も行かなければいけないのかもしれない。彼の指が私の頬を撫でる。さっき、妻の頬を撫でた、その指で……。
「このキスが、貴女の答えですね、いずみさん」
 そう、耳元で囁く彼の低い声。それを心地よく聞きながら、私は頷いた。