lesson9:食い込む音(1)

「んっ……ああ」
 漏れる吐息を隠さずに、私はすべて吐き出す。感じてくれればいい、私のような女がすべてを捧げる様を。その代わり、成宮も私に捧げる。その交換を、私たちは糧にしている。
「……」
 声を上げずに、じっと私を見つめながら彼はキスを続ける。熱い舌が彼の本当の心を表している、そんな気がした。
 車の運転席で、彼はじっと私を見つめる。その瞳は、今までの成宮とは違ったように、見えた。
「いずみさん、早くあなたをめちゃくちゃにしたいです……あなたを抱きたい。いいですか」
 その言葉の意味を、考えるより早く、成宮は言う。
「出ましょう」
 車から出て、彼は私の助手席の扉を開ける。その、エレベーターへと向かう彼の背中を追いかけるようにして、早足で彼について行った。


 成宮がマンションのドアを開け、おずおずと入っていくと、彼は突然壁に私を押しつける。半ば強引に押さえつけられたようになって、戸惑う。それもそうだ、こんな風に荒っぽく扱われたことはない。今まで、余裕のある成宮が当たり前だった。ソファーに座って、紅茶を飲んで。そこから始まる、縄への甘い快楽……こんな風に、まるで若いカップルのようなことはなかった。荒っぽい成宮は、私に囁く。
「我慢できません、いずみさん……」
 その、痺れるように低い声は、直に子宮をなでられているような感覚に陥る。耳を甘く、噛む。舐める、舌を入れる……ゾクゾクと快感が前進へと走る。じわり、奥から熱いものが漏れるような感覚。あっ、あっ、と声をあげる私を、じっと愛おしそうに見つめる瞳。何か、が変わったのだろうか。成宮が?それとも私が……?
「今日は、入れたい、いいですか」
 何を言われたかわからず、思わず成宮を見る。どういう意味なのだろう……切れ長の目は、しっとりと私を見つめている。
「いずみさんの中に」
 その言葉で、私は成宮にキスをする。とうとう、私は成宮に抱かれる–––その事実が痛々しくも嬉しい。これと引き換えに、拓也と結婚しなければ……ならないのだろうか。
「入れて、入れてくれるのですか」
「はい、いずみさん……」
 言葉にならない。どう言っていいのか分からない。散々抱かれたいと思っていた、アナルセックスは何度もして、何度も絶頂している相手……それなのに、この高揚感はなんだろう。女にとって、膣(なか)に入れられるというのは、意味が違うのだろうか。私はこれを欲していたのか……
「成宮さん……嬉しいです、私……どう言っていいかわかりません、でも……こんなにも身体が、心が喜んでいます」
 そっと、成宮の手を、自分の下着の中に導く。ぬる、という感覚がする。成宮の長い指が、私をまさぐる。この瞬間がとても嬉しい……成宮の言葉を聞いて、声を感じて、瞳を見つめて……だからこそもう、こんなにも感じている。濡れているのは、心と身体、両方だった。
「いずみさん、貴女は、僕の……」
 その先を言わずに、成宮はまた私に口づける。今日、何度口づけたのだろう、それさえも分からない。分からないのに、キスがしたい。止まらない。今まで、おざなりにキスをして、あとはお互いオーラルセックスばかりだったのに。愛おしくて、成宮を口腔で感じたい。理由は無いのに止まらなかった。
「成宮さん、私……もう、もう……」
 まだ玄関だというのに、我慢できない。とうとう、成宮に入れてもらえるのだろうと思うと……縄で縛られて、入れられたら、私は一体どうなってしまうのだろう。成宮の表情は、切なくて、もの悲しくて。でも暖かく私を見つめる。そんな顔をしていた。
「ベッドに行きますか」
「はい……」
 足ががくがくとして、ろくに立てる気がしない。ふらつく私を成宮は支えながら、いつもの部屋……ではなく、一回も入ったことの無い部屋へと、成宮は案内した。
 シンプルな白を基調とした部屋。家具も、カーテンも、シーツも、絨毯もすべて白。ここは、成宮の寝室……?
いつも、縛られている部屋とは全く違う、緊縛の道具も、ワイヤーでつるす道具も、何も無い。ここは一体……
「成宮さん、ここは」
 高揚した身体を持て余して、私は言う。成宮はじっと私を見つめる。
「かつて、ここは夫婦の寝室でした」
 私は今、どういう顔をしているのだろう。悲しそうな顔をしているのだろうか。私は、私の感情を出してしまっていないだろうか。
「今は違います。僕はいずみさんと会ってから、この部屋を片付けることにしました。ずっと、手をつけることがなかったこの部屋を……この日が来るまで。今日がその日です」
 困惑して、私は成宮を見る。この人は、私のことをどうしようというのだろう。この真っ白な部屋は、一体……
「僕が、いずみさんを抱く。それが、絶対的な意味になる……」
「あの、私は今日、縛られないのですか」
 くす、と笑って成宮は私のまぶたに羽のようにキスを落とす。その唇が名残惜しくて、じっと見つめる。それでも、成宮は揺るがなかった。
「今日は縛りません。おそらく、その必要はないでしょうから」
 必要が無い。成宮はそう言った。
 今までは必要だった……その、今までと今日、と何が違うというのか。
「貴女は完全に僕のものだ」
 そう言って、彼は私の身体を抱きしめた。少し、震えているのが分かった。あの屈強な成宮が、震えている。それも、なんとなく愛おしく感じて、そっと背中に手を回す。
 私はこの人に対する感情を、ほかの人に持ったことがない。愛しい、憎らしい、悲しい、自分の思うようにいかない怒りさえも、感じている。こんな人はいなかった。今までの誰とも違う……
 成宮の鼓動を聞く。どきんどきんと、私と同じように拍動しているのがわかる。この人は別に、神様でもなんでもない、私と同じ、そして拓也とも同じ人間なんだ。成宮が絶対的な存在であるかのように思ってしまう、でも、この人だって人の子だ。血も通っているし、私と一緒で生きている。生きているんだ……
「私はあなたのもの」
 そう、彼の言ったことを繰り返すと、彼は私の髪の毛をそっと撫でた。
「そうです。そして、僕も、貴女のもの」
「成宮さんも」
 くす、といつもの笑みが漏れる。そうだ、最初に出会ったときから、この人は何も変わっていない。私をずっと、見続けていてくれた。私を傷つけないように、私を喜ばせたいと、色々なことをしてくれた。