lesson4:縄酔い(4)

 戸惑いの中に、熱を籠もった目で成宮を見てしまう。こんな言葉に絆されて、いつも私は禁断の世界に引き込まれていくのだ。
「成宮さんの言葉、いつも嬉しいのですが……その、どこまでが本当なのか、分からなくなります」
「僕はいつも本気ですよ。嘘偽りなんて……少なくとも貴女に関することは、一度だって言っていない」
「じゃあ、成宮さん自身のことは」
「今のところ、嘘はありませんよ。話していない事はたくさんありますが。それはいずみさんもそうでしょう」
 私は何をこの人に求めているんだろう。何も知らない、既婚者なのに、甘えてすがっているのだろうか。
「そうですね、私も……離していない事は、たくさん」
 頷くと、成宮はお茶でも入れましょうか、と言ってソファーから消える。私はソファーに掛けたまま、成宮がキッチンでお湯を沸かすのを眺めていた。
 ピーと夜間の音が鳴る。カチャカチャと食器の音がすると、出てきたのは紅茶だった。きちんと角砂糖とミルクも添えられてある。成宮らしい、と思った。
「いずみさんにお酒をお出ししたいのはやまやまですが、僕はなんせ下戸でしてね。いつも常備していないのです。これから、貴女がいらっしゃる時はお酒を買っておきます」
 これから私が来るとき。これから何回、私はここに来るのだろう。そのまま、罪を重ねて、いったいどうなるのだろう……
「一番好きなお酒はなんですか」
 じっとみられて、私は成宮の左目の黒子を見る。ああ、この目に見つめられて、私はなんど絶頂したのか……
「ワインです。赤」
「了解しました。僕も、いずみさんの事が知られて、嬉しいですよ」
 まるで私の不安を取り除くように、彼は徐々に心をほぐしていく。この居心地のいい空間にまだ、溺れていたい。誰も、呼びに来ないで欲しい。少なくとも今は、拓也の事は考えたくない。私は現実を忘れさせて欲しい、のか……母親の言った台詞も、忘れたふりをする。自分の思い通りに行かない世界にから逃げていたいのかも知れない。
「どうぞ、お茶が冷めてしまいますよ」
 少しだけ、口に含むとほんのりと柑橘系の匂いがした。
「おいしい」
「ベルガモットの香りです。アールグレイ、ですね」
 成宮の紅茶を飲む様を見ていると、なんとも似合っていて頷ける。彼は本当に、イギリスにでも住んでいたかのように優雅に紅茶を飲む。こんなに洗練された動きをする人は、いないのかもしれない。
「似合っていますね」
 私がそう告げると、彼はありがとうございます、と言って苦笑した。なんだか悲しそうなその微笑みを見ると、心が痛む。どうしてこんなにこの人を見ると胸が痛むのだろう。辛いのに、目が離せない……拓也といるときは辛いと感じる事はなかった。成宮と会ってから、拓也に会うのが辛いのだ。全ては、成宮の存在が、私を狂わせていく……
「今日は、いずみさん、どうしたいのですか」
「あ……」
 電話をした自分が、成宮に何を話したかったのか、言っていない。私が言ってしまったら、始まってしまうのだろう。全ては、M側が主導権を握っているのだから。
「……成宮さんの事を思い出して、バーに行きました。成宮さんに電話しまいと思って、あそこに行ったんです。でも、行ってみたらやっぱり会いたくなりました。それで、結局電話してしまったんです、それなのに……また、成宮さんに縛られたら、私……戻れなくなりそうで。怖くて……彼とも別れたいのに別れられない。自分が分からない……もう、縛られない方がいいのでは、なんて思ってしまって……どうしたらいいかわかりません」
「ああ」
 成宮は感嘆の声をあげた。それから、私の隣に腰掛けた。
「いずみさん、泣いているように聞こえました、……電話の時。やっぱり、泣いていらしたんですね。その涙は、誰のせいですか」
 いつのまにか、涙が頬を伝っていた。優柔不断で、母の言葉や他の誰かの言葉に流されてしまう私。結婚をした方がいいと言われた事を気にしてしまっている私。母親の気を引きたい私……全ては私のせい。全て私が悪いんだ。それを、受け止められない。幼く醜い私の心。
「私、私です……誰のせいでも無い、私が……いけないんです」
「いいえ、いずみさん。僕のせいにしておきなさい。僕が悪いんです。貴女を縛った、この僕のせいだと」
 そう言われて、成宮の胸に飛び込む。ほんのりと香水の匂いの中に、汗の匂いを感じて今日は稽古だったと言われた事を思い出す。後ろに手を回して、そっと撫でられる。安心する。ここにいたいと心底思う……まるで、父親に抱かれてるような、そんな記憶が蘇ってくる。彼の中に父性を見てしまうのは、私の願望なのだろうか。
「さあ、言って。僕のせいだと」
「でも……」
「言うんです、さあ」
「成宮さんのせい、です……あなたが、私を」
「そう、僕が貴女に何をしたのか、言いなさい」
「あなたが、私を縛って、後ろまで犯したんです」
「だから、貴女は僕から離れられなくなった」
「そう、全て、あなたが、あなたのせい」
 涙が頬を伝って、ぽたぽたと落ちていく。私のその涙を指で拭う彼は、悲しそうでは無かった。
「もっと言って下さい。僕のせいだって……貴女がそうして僕を詰ると、僕はとても興奮する」
 ちゅ、と軽くキスをされると、一気に火が付く。成宮に噛みつく様に、私からキスをする。もう止められない。やはり、私はこうしたかったのだ。成宮に、触れたかった。その指で、きつく縛られたかった。契約とか、そんなのはどうでもいい。成宮に、溺れたい……
「縛って、縛って下さい……あなたの好きにして欲しい、私を」
「その言葉を待っていましたよ。縛らせてもらえるなら、僕は貴女の何にでもなる。憎まれ役でも、恋人でも、誰にでもなりますよ、だから」
 しゅるり、と、どこに持っていたのか分からないが赤い縄が成宮の手にあった。
「今日はきつく縛らせて下さい……しばらく彼とはセックスできないようにしたい、いいですか」
 こくん、と頷く。早く、早く。私の心が悲鳴を上げている。早く縛って、あなたの舌で昇天させて欲しい。我慢が出来なくて、私は身体を捩った。
「いいですっ……だから、だから早く……縛って、お願い」
「いずみさん……あなたは悪い人です。僕をこんなに煽って。今まで、こんな人はいなかった。他の誰でも無い、貴女が最高の女性だ」
 心が、頭が痺れるように彼の声を聞く。その声が、私の中まで浸食して、まるでじんじんと杭が打たれたように痛む。それが心地よかった。はだけさせられたブラウスに、そのまま縄を這わせられて、はあ、はあ、と吐息が漏れる。