lesson6:恋慕の代償(3)

 早くに引けた理由は、成宮しかなかった。
 あの日から、連絡が途絶えていた。何かあったのは知っていたが、それを浮き彫りにしたくない。妻の存在が心を締め付ける。あんなに取り乱した成宮を私は知らない。それとも、私が知っている成宮が、もしかしたら幻のようなものだったら……
 成宮の自宅の方面のホームで電車を待っている。ふと、拓也から電話が来て、スマホをスライドしていた私は、通話してしまっていた。
「いずみ?通じた。よかった」
 拓也の声。あの時、正月に自宅にお邪魔したとき以来だった。会ってもいない、声を聞くのも久しぶりだ。LINEも既読にしていなかった。
「仕事終わり?俺、今、休憩してるんだけどさ」
 懐かしくて、胸が苦しい。私はこの人に、何をしてあげればいいのだろう。どうしても、許されない。
「今日、会える?少しだけでいい。お願い」
 汗ばむてのひら。私の迷いが、吐息で伝わっているのだろうか。
「あの、私……拓也の求める彼女にはなれないと思うから、だから」
 拓也はストップ、と言った。
「別れようって言うの?いずみ。それは無しだよ」
 次の言葉を読まれて、私は絶句する。拓也に別れを切り出すほか、報われる方法は無い。
「俺はさ。いずみのこと、大事にしたいの。この前も、俺が悪かったと――思う。マジで、全然いずみの境遇とか考えて無かったし」
 拓也の真剣な声。私、会って何を話せばいいのか、分からない。
「でも」
「会おう。会わないと俺、どうにかなりそう」
 真剣な声に、うん、と思わず言ってしまった。また、優柔不断な私に戻っていく……
 つくづく駄目な女。それが辛い。
 泣くほど嫌だ。何が嫌なのか、それは拓也では無い。拓也といる自分が嫌だ。全て自分を肯定出来ない事にある…
「仕事終わったら行く。待ってて」
 うん、と力なく返事をして、私は駅の反対側、自分の家のホームに歩いて行く。
 本当は、成宮に会いたかった。会って何をするわけでも無い、ただただ会いたい。こんなことが今まであっただろうか。分からない。でも会いたい。快感が欲しいのではない、完全に成宮という存在が必要になっている。心が叫んでいる。触れたい。あの唇に触れたい。冷たい指で翻弄して欲しい。思い出しただけで、悲しくなる。こんな濃い、辛くてもう嫌なのに、それでも成宮は私の中から消えない。彼に剃られたその場所が疼く。痒くて、でも剃られた理由は、もしかして拓也とセックスしないためなのではと思い始めている自分がいる。それが嬉しい自分がいる……
 自宅に着いて、ぼんやりとソファーに座る。拓也が来るまで、何もする気が起きない。鞄を投げ捨てる。放られたそれはリビングの端っこにスライディングした。どうしよう。拓也はまた、私を抱こうとするだろうか。
 疲弊した心に正直に、私は眠りについていく。夢の中で見たのは、成宮だった。

「さあ、言いなさい、入れて下さい、と」
「はい、ご主人様、私のここに、あなたのを」
「ふふ。どちらですか、後ろと、前と」
「どっちも、欲しいです」
「欲張りですね。いけない子だ。まずはお仕置きからです」
「ああ、ありがとうございます……」
 成宮のそれを、口に含む。あの感触を、もう一度味わっていた。
「ご主人様のものなら、飲めますよね。飲み干して、さあ」
「はい。喜んで、ご主人様……」
 成宮のそこから溢れる、多量のそれ(・・)を、まるでジュースのように飲み干す自分がいる。喜びは、最高潮だった。多幸感に包まれ、もう死んでもいいとさえ、思った……

「いずみ、大丈夫、いずみ」
 拓也の声で目が覚めた。ソファーで、そのまま、眠っていたようだった。
「うなされてたよ」
 成宮の夢を見たあとに、拓也の顔を見るというなんとも残酷な状況に、私は絶望した。うなされていた……
 私は夢の中では幸福だったのに。端から見れば、苦痛でしか無かった、ということか。
「ああ、ごめん……寝てた。すごい疲れてて……ごめんね」
「いいよ、顔見たかっただけだし……いずみ、何か食べる?夕飯は」
 食べていなかったが、まるで食欲がない。会いたくなかった拓也と顔を合わせて、更に夕食まで、なんて……
「ううん、いい」
「そっか……」
 沈黙になると、途端に成宮の事を思い出す。あなたを断った日、私はここで、違う男に陰毛を剃られ、舐められて絶頂させられていたと言ったら、この人はなんと言うだろう。今度こそ別れようと、言われる気がする。言ってしまおうか。違う男が好きになったと。そうしたら?拓也は……あっさりと別れると、言ってくれないだろうか。
 不安な気持ちを隠してぎゅっと拳を握り込む。すると拓也は言う。
「この前はごめんね。本当に。俺が悪かったよ」
「なんで謝るの。あれは、私が至らなかったからだよ。きっと、拓也にはお母さんみたいな優しい女性が合うと思うよ。私なんて、多分ご両親からしたら駄目な子に見えただろうなあ」
「いずみは……そのままでいいんだ。俺がそのままのいずみがいいんだから。なのに……家の家族に合わせようとさせてしまって……本当にごめん。俺の両親が嫌ならもう会わなくてもいいよ」
「どういうこと」
「その、実は……いずみを連れて来いって言われたのはさ。正月に、俺が両親に言ったんだ。いずみと、結婚したいって」
 頭で何かが弾けたような気がした。