lesson9:食い込む音(2)

「縄、は必要ないのですか」
 そう私がいうと、彼は頷く。
「縛ってほしいでしょうね。僕がそう、いずみさんを教育した、いえ、調教してきたのですから」
「では、どうしてなのですか……縛って欲しい、のに」
 身体がよじれる。成宮の腕に抱かれながら、縛られる快感を思い出すだけで、自分の奥から何か熱いものがあふれていくのが分かる。あの食い込む縄の感覚。熱くたぎる感情。すべて、成宮が私に教えたのだ。
「いずみさんの、希望はなんでしたか。僕は、それをまず叶えてあげたいのです。言ったでしょう、僕も貴女のものだ、と」
「あ……」
 今まで、私はなんと思ってきただろう。
 成宮に抱かれてみたいと、思ってきたのでは無いか。縛られ、犯される快感が欲しかった。その通りだった。
「そうです、私、成宮さんに……抱かれたかったのです」
「僕からも、貴女にあげますよ、僕を」
 気づくと、瞳から熱いものが流れていた。
「結婚することはできません。でも、結婚以外に僕ができるすべてのことは、与えてあげられます。いずみさんの望むように」
『その代わり』
 二人で、同時に言い放つ。
『拓也と結婚する』
 涙を拭かずに、成宮にキスをする。背伸びをした私の唇の中に、彼の舌が入ってくる。舌と舌が絡まり、大きなうねりとなって、お互いの感情にアクセスする。これが欲しかった。成宮が欲しかった。私はずっと、この人が欲しかったんだ。縄が欲しかった訳では無い、この人の感情と混ざり合いたかった。社会的なことなど超えて、この人を求める。そんな感情が必要だった。成宮は、この気持ちを教えてくれた。お互いに心をごちゃ混ぜにして、また元の身体に返す。そのためには、身体で重なり合いたい。もっともっと……
 拓也と結婚しても、私は彼のものであり、彼も私のものである。
 そういうことなのだ。彼が望んでいるのは、その境地なのだ。
「ん……ああっ、ああ」
 舌が絡み合って、唾液さえも当たり前に飲み込んで、幸せを感じる。私はこれが欲しかったの、だ。
「成宮さん、嬉しいです、私があなたのものになるだけでは、ないのですね」
「そうです、僕ももちろん、貴女のものです」
 また絡む舌が歓喜している。喜びの中で、彼の喜びさえも手に取るように分かる。彼も、私が完全に彼のものになる、ひいては私があなたのものになる、それが嬉しいのだろう。
「妻を病院に置き去りにして、僕はとんでもない悪人です。そして、貴女も」
 ゴクリ、と、絡まった舌を離して盛大に飲み込むお互いの唾液。そうだ、私は悪い女だ。拓也と結婚して、どうなるわけでもないのに、完全にこの人のものになるために、利用している……それは成宮と同じくらい悪いことなのだろう。
「いいです、私も、あなたと一緒に悪い女に」
 ぎゅう、と、ありったけの力を込めて成宮に抱きしめられることが、こんなに苦しいとは思わなかった。普段、鍛えている成宮のその腕。胸。筋肉質のそこに押しつけられて、苦しくて逃げ出したくて、でも甘美な感覚に捕らわれて何もできずにいる。成宮が私を必要としている、そのことがこんなにも嬉しいなんて。
「罪ですよ、それでも」
 まるで最終確認のように聞いてくる彼の瞳は、真剣そのものだった。
 これを断れば、平凡でうだつの上がらない、後輩も助けられず先輩のパワハラに屈する弱い私、拓也と結婚して、後悔して打ちひしがれる私に戻るのかもしれない。
「罪でも、いいです。成宮さんと、いられるなら」
 迷いは無かった。思い切り、飛び込みたい。この胸に。
 私の髪の匂いを嗅いで、彼は満足そうに私を見つめる。それから、そっと手を取った。
 誘導するように、ベッドの上へと誘われる。純白のシーツが、彼の思い入れの深さを語っているようだった。
 優しく、座った私の髪の毛を撫でる。いつもとは違う、成宮の行動。触れた指先から、彼の感情があふれてくるようだった。
「いずみさん……」
 その後、言おうとした言葉が何なのか、私には分からない。そう、いつもこの人は私にこの表情をする。それから、その先の言葉を言わなかった。今までも、何度もそんなことがあった。
「何と、言おうとしているのですか、成宮さん。私に……いつもいつも、その表情をするとき、あなたは口をつぐんでしまうから」
 ゆっくりと、白の中に倒されていく。いつもは荒く口づけ、縄で縛られているはずのなに、今、縄は無い。そのまま、白いブラウスのボタンを外し、待ち焦がれた身体に触れていく。火がついたように、その唇の触れたところが脈打つ。彼の唇が、胸の谷間を通り抜けていく。焼き印でも付いたのか、と思うくらいの痛みと快感を伴い、ちゅ、ちゅ、と繰り返す口づけの音。そのまま、露わになった腋窩へ、唇は急ぐ。
「ああっ、はあ」
 腺の一本一本まで、舌で探ろうと彼は必死だった。こんなに必死な顔は、縄の時は見たことがない。いつも余裕で、彼は私の後ろを犯していたのに。ぴちゃ、と唾液の音がする。彼の唾液でぬるぬるにされても、私は嬉しくてたまらなかった。早く、次、へ来て欲しい。先端、尖ってあなたを待っている先端。そこを触って、舌でしっとりと濡らして。唇でついばんで、また吸引して……いつもするように、して欲しい……成宮の髪の匂いが、鼻を刺激して私は慕情が抑えられない。この、いつも縛ってくれる人が、私はとんでもなく大切だ。早く、欲しい、何でもいいから、あなたを差し込んで欲しい……粘膜で感じたい。早く、早く……
「なるっみや……さん、なるみやさん……」
「どうしました」
「欲しい、です早く……がまん、できな……」
「もう、ですか、いつもより早いじゃ無いですか。縛ってもいないのに」
「でも、でも……いつももっと、強く、荒いのに、今日は」
「当たり前です、完全に僕のものなんですから。この身体に僕を刻みつけておかなければ」
「ああっ、つ……ら……」
 そのまま腰に降ろされる舌が憎い。胸を、尖った乳首に触れて欲しいのに。
「だめです、まだ、まだ……だめですよ」
「ああん、ああ」
「とても素敵です……僕のいずみさん。僕が縛っていますよ、今、この時も」
 なんと言ったのだろう。今、なんと……
「まだ私……縛られて無いのに」
「ほら、……ここ」
 胸の中央、さっき自分がキスを落とした部分に彼は手を宛がう。
「ぎゅっと、締め付けてくるでしょう。これが食い込む音。もう、貴女が僕のものだという証です」
「ああ……」
 何ということなのか。私の心は、彼の言葉で、彼のせいでこんなにも苦しさを伴っている。縄が無くても、というのは……