lesson5:背徳の味(3)
自宅で拓也からもらったワンピースを脱ぐ。私は駄目な女だった。
拓也の両親に会っても、いい彼女を演じることもできない。
私の肌には、くっきりとまだ、成宮に縛られた痕が残っている。
「うう……」
何故か分からないけど、涙が止まらなかった。
拓也のことが嫌いな訳では無い。でも、何故か心が離れて行く。
しかも、心を近くしたい成宮は既婚者。永遠に自分と添い遂げることは無いのだ。
自分の馬鹿ぶりに嫌気が差す。もう、私は誰とも一緒に居る資格なんてないのでは無いのか。自分の母親の考えや、結婚への安堵感に憧れて、拓也とそんな関係を築きたかっただけ、ではないのか。
幸せな家庭を知っている拓也の、その優しさに縋りたかっただけ、本当は、心の奥底では、私は。
成宮との激しく、命を落としてもおかしくないプレイを思い出す。首に掛けた縄を引っ張られ、直腸に容赦無く入れられ、そこに精をぶちまけられた。激しく、それでいて快感に従順な自分の心を察している成宮。
泣きながら、シャワーを浴びる。鏡の中、見えている体幹の縄の痕は、少しずつ薄れているように思う。冷えた身体が、お湯で徐々に温まっていく。でも、心は、冷えたままである。
「成宮さんに、会いたい」
会ってどうなる訳でもない、会って苦しさが消えるわけでも無い。それでも、成宮の縄に縛られ、囁かれ、下で翻弄されたい。可愛いと、言ってもらいたい。自分の存在意義が、まるで成宮とのセックスにあるかのように。私は溺れている……成宮に。成宮の気持ちも分からないまま、溺れている。
でも、成宮の気持ちが私にあっても無くても、一体この恋はどうなってしまうのか。意味のある恋なのか。
巷では結婚相手に奔走している女子達、アラサー達とは一線を画している私の行動。一体どうしたいのか、自分でも、分からない……
落ちていく気分の中、髪の毛をタオルで拭きながら、スマホを見る。拓也から、ありがとう、という言葉と共に熊のハートスタンプが送られてきていた。それを、既読にせずに私はベッドへと身を投げる。気分は最悪だった。心が整理できない。年末年始、母親と拓也の家族に翻弄されて、私はどうしたいのか、全く分からなくなっている。成宮との関係を、終わりにした方がいいのは分かっている。拓也の関係を終わらすのではなく、成宮と別れるのが正解なのは、自分でも痛いほど分かっている。でも……できるのだろうか。こんなにも心に食い込んできている成宮と、会わなくなる、なんていうことができるのだろうか……
ふと、スマホのバイブ音が鳴る。着信は……
「成宮……さん……」
どうしてこんな風に、私の気持ちが分かるのだろう。どうしよう。出るべきか、出ないで無視するべきか……
迷いながら、脳裏で拓也とその家族が浮かぶ。私は悪い女だ。そうだ、もう自分では、そうだと分かっているではないか……何を、今更。
「はい」
スマホの画面、スピーカーと書かれた場所をタップすると、成宮の声が聞こえる。
「いずみさん。今、お話大丈夫ですか」
ああ、成宮の声だ。年始に抱かれてからもう随分と経っている。二週間くらいになりそうだ。この声が、聞きたかった……
「はい、何でしょう」
なるべく、喜びが出ないように感情に蓋をする。こうすることは慣れている。私は誤魔化せる。成宮を、心の底から求めていることを、悟られたくない。
「会えますか、今から……僕の自宅でも、いずみさんの家でもいい。とにかく、会いたいのです」
熱情を込めた声。どうしたのか、全く分からない。何か、が成宮の中で違う。いつもとは、違う、でもそれが何かは分からない。
「何かあったのですか、あの……私、明日も仕事なので、その」
「少しでいいのです。貴女に触れたい。じゃないと、僕は……」
苦しそうな声で、彼が言うのを聞いていると、いてもたってもいられない。私は、部屋着からすぐに普通着へと着替えた。
「ほんの、少しなら……何処へ行けば、いいですか」
「もし可能なら、いずみさんの家の最寄り駅まで、行きます。ですから……」
「分かりました」
疲れた身体を引きずって、夢中でコートを着て、家を出る。拓也と居るときはあんなに重かった身体が、彼に会うとなると軽い。どうしたのだろう。明日、仕事があるなんてまるで気にしなくなっている。鍵を掛けて、すぐに早足で駅へと向かった。
もう既に夕方の五時を過ぎている、すっかり暗くなっている駅の改札。そこで、成宮を待つ。はらはらと、少し緊張しながら改札を見ていると、成宮らしい人が出てくるのを見かけた。
「……あ」
名前を呼ぶのを憚らって、そのまま成宮を待つ。私に気づいて、彼はこちらへ真っ直ぐに来てくれた。
「すみません、突然」
「いえ、大丈夫、です……どうかしましたか」
すると成宮は、突然私を抱きしめる。駅の構内で、ざわざわと人がざわめいているため目立ちはしない。けれども、屋外でこのような行動を刷る成宮では無いはずなのに、と思い、戸惑いは隠せない。
「どうしたんですか、あの……成宮さん」
「……」
何も言わずに、きつく私を抱く彼。自分の彼氏でもなんでもない、ただの――その後は、何も言葉が出ない。セフレ?セックスだけの相手?いや、私の心では、セフレでは無い。
「すみません、もう少し、このまま……お願いです」
行き交う人が私達二人に目線を投げていく。流石に駅構内の人目が気になって、成宮を宥める。
「人目がありますから、あの、家にいらしてください」
身体を離すと、成宮の匂いがする。そう、あのマンションの匂い。ベルガモットの紅茶の、上品な匂いがする。縛られたことを、すぐに思い出す。そう、これから自分の家に行くのだから、今日はそんなことはできない、成宮は、縄を持っていない……
駅から自分のアパートまでの道を、とぼとぼと成宮と進んでいく。そう、何も話さずに歩く私たちはどんな風に見えているのだろう。恋人?夫婦?兄弟?それとも……身体だけの関係だと、分かってしまうのだろうか。
成宮の表情は、いつもと変わらなく見える。それどころか、少しやつれているようで一層艶めかしい。ああ、この人に抱かれたい。この人に縛られたい、焦らされたい。いろいろな欲が、自分からはみ出ていくような気がした。